昔どこかで「人は皆、愛されて生まれてきた筈だった」という言葉を見たことをふと思い出しました。
恐らく原文も違うし、続きもあったように思いますがなんとなく心に残る言葉でした。
喜びと悲しみが同居した何とも切ない言葉だなぁと思います。
やきものの完成って案外人が生まれる事に凄く似ている気がします。
苦労して土から掘り起こして、心血を注いで作り上げる。
そうして出来たものをじっと溜めていき、何日もかけてヘトヘトになりながら焼き上げる。
なんだか本当に出産に似ているなぁとつくづく思います。
そうして一生懸命生まれてきても、窯の中で壊れてしまったりします。
また、完成しても人の手にに渡ることなく展示場の隅に埋もれてしまったりもします。
故正宗杜康先生の工房へお邪魔しているときに、そんな埋もれた作品を掘り起こすのが楽しかったです。
その時に先生は「ちょっと待ってなぁ」と言い、じゃぶじゃぶと作品を洗って見せて下さいました。
埃をかぶった作品でも少し洗ってやれば、先ほど焼きあがったような輝きを取り戻していました。
先生はそれらの作品を手に取り、「これは○○の土を使って?こういう作り方が魅力で?」と
まるで昨日のことのように色々事細かに教えて下さいました。
その時はただただ驚きと探究心だけで、僕も色々ご質問させて頂いているばかりでした。
今思い返せば先生はどの作品も愛さていたんだなぁと思います。
窯変がどんなに少なかろうが、形がどんなに歪であろうが全て手塩にかけた愛する作品だったのでしょう。
作品を愛することができない人に、人から愛される作品は作れないのですね。