皆さんこんにちは。大分暖かくなってきて、春はもうすぐそこまで来ていますね。
さて、今日は島村先生とお会いして感じたことについて書こうと思います。
島村先生といえば独特のオシャレな細工物で有名ですね。
ではその独特のオシャレさ、とは一体何なのでしょうか?
あくまで個人的にですが思ったことを書かせていただきます。
ネズミやネコ、登り窯や松の割木など忠実に再現されていながら、どこかメルヘンな感じがします。
ありそうでないような、夢見心地の作品。とでも申しましょうか。
感覚的な事でうまく言葉に起こす事が出来ず申し訳ありませんが、
そんな不思議な感覚を呼び起こしてくれる作品だと私は思いました。
まず細工物とは一体何なのでしょうか?
それまでは遥か古より在った備前に於いて制作された、写実的な作品だと思っていました。
鳥獣をじっくりと観察し、そっと触れるだけで形を変えてしまう土を用いて製作する。
時間を湯水の如く使って、圧倒的に再現度を高める。
僕はそのように認識しておりました。
つまり現代の細工物とは、観察力と再現力の二点によって構成されているものだと思います。
しかし、島村先生の作品はそれだけでは割り切れない何かがあるように思います。
https://mpn.cjn.or.jp/mpn/contents/00001995/page/simamurakoro.html(当店の島村先生の作品です。)
この写真を見てみると、実際のイノシシの足とはこのような形ではないのが分ります。
本物のイノシシはひづめがあるし、胴体の比率が圧倒的に大きいですよね?
しかし、不自然ではなく、むしろ不思議な可愛さが島村先生の作品には存在します。
実際より変化させていて、なおかつ見ているものを納得させる。
これは上で挙げた、現代細工物の構成である「観察力」「再現力」ではない「もう一つの力」が、
島村先生の作品には存在していて、それが作用しこの不思議で気持ち良い作品になっていると思います。
それはイノシシの実際に存在する姿を変化させて納得させる力、「応用力」ではないでしょうか?
この応用力は古備前の時代にはきちんと存在していたのに、いつか影に隠れてしまったように思います。
見たこともない布袋様や観音様を生み出し納得させた力こそ、この応用力ではありませんか?
全てではありませんが布袋様を始めとする現代細工物の多くは、
古備前の既存の作品を見て観察力と再現力によって再現されたものが多いのではないでしょうか?
もちろんその二つの力を発揮するだけでも本当に凄いことですが、
応用力というのはその二つの力よりも、あまり重要視されなくなったように思います。
島村先生はその応用力を最大限に生かしておられると僕は思います。
フリーハンドで描かれた絶妙な線や、登り窯が酒注ぎに変化する不思議なパワー。
僕はまだまだ勉強不足で何も分りませんが、この不思議なパワーをもっともっと見てみたいと思います。