森 一洋先生と語らう。其の弐

皆さん如何お過ごしでしょうか。
もうすっかり寒くなってきましたね。
もうすぐ冬となってきますが、なんだか秋が短かったような…。
さて、本日は森一洋先生のインタビューの続きです。

僕「なるほど。たしかに洗練された印象がありますね。デザイナーズマンションに通ずるような、お洒落な感じがします。」

一「でも、個性ばっかりでは機能が無くなりますからね。」

僕「そうですね。そういえば先生は修業時代ってどうだったんですか?」

一「うーん…、修業って言うかロクロを挽くとか、そんなのはほとんどしてないんですよ。」

僕「えっ?!そうなんですか。じゃあ小さい頃からの体験で大体(つくることは)出来たんですか?」

一「まぁある程度は出来たんですけど、本格的に、例えば鶴首が作れたっていうのは無いですけど。」

僕「やっぱり鶴首は難しいんですねー。これとか口縁が鋭くて凄いですけど…。」

一「うーん、最初から比べて技術は上がったんでしょうけど…。実はこれ(直径1センチ強の鶴首)は細くすれば良いんですよ。細ければ細いほどっていうのは別にどうって事無いんですよ。細くすれば良いんですから。これ(鶴首花入)は細くても駄目、太くても駄目なんです。中間で止めないと駄目なんですよ。」

僕「なるほど。確かに微妙なシルエットがありますね。このシルエットは技術云々ではなく難しい。」

一「そうですよ。だから首物だったら鶴首が一番難しい。」

僕「口、首、銅と微妙なバランスで良し悪しが変わりますね。作るのでこれが好きって作品はありますか?」

一「えー、何を作るのも嫌いですね。」

僕「えぇ?!それはビックリです。嫌いなんですか(笑)」

一「うーん、楽しいだけだと…。やり始めて機能とか形を考えながら作っていくでしょう?最初の頃は楽しかったんですよ。ある程度分かってくると、茶碗はこのサイズじゃないと使えないとか出てくるんですよ。で、どんどん分かってくるんですよ。そうなると楽しいだけじゃ作れない。」

僕「それは本当に微妙なところですねー。」

一「うん(笑)まぁ形とか思いついた時ぐらいが楽しいですねー。それを今度どの位使い易く作ろうか、とか考え出すと楽しくなくなる(笑)」

僕「脳ミソの中にあるぐらいが楽しくて、現実に出そうとすると大変ですよね。」

一「現実に物に作り変えた時に、『これはちょっと使いにくいんじゃないか』とかなってアールを緩くしようとかなってしまうんですよね。」

僕「そうなんですか。先生は本物のこだわり派ですね(笑)」

一「もう、思いついたものと出来たものの差が激しい時には、ほとんどやり変えみたいな感じですね。」

僕「そうなんですか。デザイン重視の人なんかもよく作り変えてるみたいですが、機能性を見つめて煮詰めていくって相当大変ですね。」

一「うん。本当だったら備前の場合、叩き皿なんかトントントンと叩いてそれだけで使える訳でしょう。でもそれだけだと個性が出にくい。だから、叩き皿一枚でも線を入れてみたり(小さく切り取られた部分に幾何学模様が)」

僕「あっ!本当ですねー。こんな細かいところまで…。」

一「置いた時にそこに影が出来るから良いかなと思ってね。」

僕「じゃあ一つの形が思い起こされて、出来上がるまでどの位掛かるんですか?」

一「その作品によって違うんだけど…どのくらいかな?まず思いついたらスケッチブックに書き留めておくんですよ。で、書いたものを次の窯で作ろうと思うと…作ろうと思わなくなる。それがドンドンドンドン溜まっていくでしょう?」

僕「そうですね。」

一「で、また一つまた一つと書き溜めた時に『あ、これ良いなー。』ってものがあって、いざ作ろうとしたら五、六年前に同じ形をスケッチしてるんですよ。」

僕「そうなんですか(笑)」

一「だから、前に考えてても今は作りたくないとかあるんですよ。生れてから今まで色んな形を見て刺激を受けて、それがまた自分から出てくるんですよ。だからスケッチブックなんかに書き溜めておくと本当に面白いんですよ。」

僕「なるほど。まるで化石を掘り出すように、自分からアイデアを掘り出すんですね。じゃあ十年前のアイデアがまだスケッチブックに眠ってるんですか?」

一「ええ、ありますね。スケッチブックを見てて『こんなのも面白いなー』とも思うけど、まだ作ってないのが沢山ありますよ。」

と、今日はここまでです。
うーん、段々と一洋先生の内面に迫ってきましたね。
一洋先生は言葉を吟味して、ゆっくりと語りかける方なのですが、
スケッチブックのお話を聞いてなんとなく理由が分かったような気がします。
沢山の思いがあるからこそ、伝えるべき事をしっかりと吟味されているんだと思います。
作品も同じく、鋭く烈しく「理想」を突き詰めて制作されています。
機能を追い求めて、それがドンドン突き詰められて鍛えられて
鋭く美しい「個性」へと鍛え上げられているのではないでしょうか。
一部の巷に溢れる「個性派作家」の方々、くれぐれも要注意ではないでしょうか?
ところで今回の写真は50mの大窯からの風景です。
一山登ったかのような見晴らしの良い景色は、中々見応えがございます。
あと松割木の写真ですが、これがむちゃくちゃデッカイんですよ!!!
ふつうのまきの二周りくらい大きいです。
大窯には大薪…、当たり前の事ですが改めて大窯の巨大さを痛感しました。
うちの薪は可愛いもんです。
それでは、また。
                                      to be continued…

[ 森 一洋先生と語らう。其の弐 ]陶芸家に会う2006/11/15 16:59