皆さんこんにちは。今日はパクリについて書こうと思います。
パクリってあんまりいい言葉じゃないよなー、と思いつつ市井には確かにこれが存在しておりますな。
よくニュースで小説家や作曲家が、「盗作だ!」って騒いでいますけどこれもパクリ関連でしょうか?
「ホンモノとニセモノ」って非常にデリケートな問題だと思います。
盗作と騒いでる人が、盗作してたらその話題の中に「ホンモノ」は居ません。
でもニセモノ、パクリったって、色々とあるものです。
インスパイア、オマージュ等等、きちんとホンモノと対になったニセモノもあります。
その場合のニセモノは、ホンモノとちゃんと並び立つ「ニセモノ」と呼べないモノですが。
音楽をやっていたりするとそこらへんがとても良く分かります。
雑誌のレヴュー等で「誰々を彷彿とさせるロック」とか別の人の名前が書かれてたら要注意です。
そんなものを買ってみて大体思うのは「あんまり良くないな」の一言です。
本来、自分の作品と呼べるものに誰かの名前や匂いが出てたらダメですよね。
独創性の世界ならば「独」りで「創」造しなくちゃ話になりません。
しかしここで大きな疑問が生じてきますよね。
人の影響を受けずして、人に影響を与えれるのか?
じゃあ全部が全部、オリジネーターに成り得るか?
じゃあ今の伝統工芸は模造品ばかりの贋作塗れか?
ここで出てくるのが「継承」と「発展」って事じゃないでしょうか。
今日の備前焼があるのは陶陽先生だけのお陰!と言う業者がいますが、
それだけとは言い切れないでしょう。
じゃあ他の人たちは何してたんですか?となってしまうし、
今日の備前焼が?では、未来を担う人たちがかわいそうです。
僕はそれぞれの人が大なり小なり「備前焼」を継承し、発展させてきたものだと思います。
その中に陶陽先生も居て、名も無き陶工達もいたんじゃないでしょうか。
まるで巨大な生物の進化の歴史のように千年を歩んだんじゃないでしょうか。
発展させた事を継承させて、継承した人が発展させて。
時に突然変異が起こり、劇的な進化を短時間で遂げつつ、
時に細胞の死滅が起こり、DNAの損失が起こりながら。
うーん、何だか難しいですね。弟子が師匠になり、またその弟子が?って事です(笑)
そう考えてみたら弟子ってのは大変なものです。
継承をするなら、発展も1セットでやり遂げなければなりません。
無論弟子でなくても発展させれるなら、それは継承するべきです。
発展ありきの継承、凄い人の継承はホント大変でしょうね。
でもここで注意するべきなのはただ継承しただけでは、劣化コピーとなってしまう事です。
ここで最初のお話に戻りたいと思います。そう、パクリです。
この前述の劣化コピー状態こそ、駄目なパクリの状態ですよね。
で、僕が怒ってるのは聞きかじった話だけでのパクリが備前焼にもいる事です。
正式な継承も無ければ、勿論発展もクソも無い!劣化コピーどころの話じゃないです。
こんなに悲しくて虚しい事ってありますか?
そしてもっと悲しいのは、それを販売している所があるって事ですよ。
モノを売るんなら、ちゃんと考えて売らなくちゃいけません。
導くって事も重要な事じゃないでしょうか?
継承が警鐘に変わる前に、ちゃんとしましょう。