伊勢崎 満先生の回顧展に行って参りました

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皆さんこんにちは、寒い日が続いておりますが如何お過ごしでしょうか。
さて、先日伊勢崎 満先生の回顧展に行って参りました。
満先生は2011年の8月末に呼吸不全で惜しくも亡くなられ、伊部は重鎮を失った悲しみに包まれておりました。
約一年半の後に今回の回顧展が開催されましたがどれも素晴らしい作品が並んでおり、
改めて「伊勢崎 満先生」の喪失という事実を再確認しました。
また、会場にはご子息である四兄弟の作品があり、父であり師匠である満先生への想いが寄せられていました。
四兄弟の皆さんそれぞれの言葉から満先生の真面目で職人気質なところや、無口だけど優しく温かな眼差し、
どこまでも仕事熱心なところなど、家族であり師弟でもあるからこそ分かる人柄が伝わってくるようでした。

今回の回顧展では各種類別に作品が展示されており、茶器や花器などの伝統的な作品から、
晩年の緋襷荒土作品、更には黒織部や志野など実に多岐にわたる仕事ぶりを拝見させていただきました。
中でも平安窯時代の作品の窯変は異彩を放っており、
乾いた白身の強い土に、同じく乾いた質感の黄胡麻がパラパラと降り掛かっており、
晩年の満先生の焼成とはまた違った雰囲気で貴重な体験となりました。

酒器なども多く展示されており、窯変酒呑や赤絵酒呑などこちらも非常に見応えがありました。
赤絵には伊勢崎一門に受け継がれている満先生の優しくも洒落たタッチが存分に発揮され、
ツルリとした白磁に滑るような筆使いがなんとも小気味よく、思わず手に取りたくなってしまいました。
窯変はピンク色の見事な土味となっており、土にこだわることで唯一無二のピンク色の土味を体現されていただけに、
「ピンク色」を備前焼の説明で使うことがこれから少なくなりそうで寂しい気持ちになりました。

赤絵酒呑などもそうですが、柔らかな和紙でそっと撫でるような、そんなイメージが脳裏に浮かんでくる優しいタッチが、
水差しの肌、茶碗の口縁部、徳利の曲線美、どの作品からも共通して感じられ、
荒々しさを表現した緋襷荒土作品からですら、隠し切れない丁寧さや優しさがにじみ出ており、
多種多様な作品をまるで全方位から満先生を分析するように集めることで、
僕のような凡人にもどうにか名工が到達した境地をほんの僅かながらも垣間見ることが出来たように思います。

一生懸命に仕事を頑張ることを心血を注ぐと表現しますが、
一生懸命に備前焼を作るということは心を込めて形とし、血肉を分け与えるように思います。
それはもう本人の分身といっても過言ではないのではないと思います。
きっと満先生の分身達はこれからもたくさんの陶工達の手本として輝き続けるのではないでしょうか。

[ 伊勢崎 満先生の回顧展に行って参りました ]未分類2013/01/27 05:19