皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。
本日はとても珍しい作品が入荷いたしましたのでご紹介させて頂きます。
金重陶陽先生の緋襷の酒呑なのですが、実は金重素山先生の電気窯で焼成されたものです。
昭和42年に金重陶陽先生は逝去されますが、金重素山先生の電気窯焼成が完成したのが41年の事です。
苦難の時代の中で共に陶芸の道を歩んできた弟が成し遂げた偉業を見られた金重陶陽先生が、
どのようなお気持ちであったのかこればかりは私どもには到底想像できません。
それまでの金重陶陽先生の緋襷といえば、登り窯焼成に肌に小豆色掛かった土味が出たものが多いですが、
本作は電気窯焼成における緋襷の特徴である透き通るような美しい白肌となっています。
その中でほんのりと淡い黄色味が肌に差し、まるで乙女の唇のような繊細な緋襷が掛けられております。
非常にベタな表現となりますが、この酒呑は口をつけてお酒を「呑む」のではなく、
まさしく「くちづけ」をしてお酒をこちらの口へ移して頂く類のものであると感じます。
そう感じる所以のもう一つに、金重素山先生とはまた違った土質も関係します。
金重素山先生の緋襷は土の中にある程度の砂けを含んでおり、
これが却って肌に程よい粗さと力強さを加味しています。
そして金重素山先生の抉り込むような箆削りに反応して石粒が動き、
土肌の中にその軌跡を残すことで、金重素山作品の魅力の一つになっています。
しかし、今回の金重陶陽先生の酒呑では肌を指がするりと滑るような、
もっと言えば指に土の粉が付いてしまうのではと錯覚させる程です。
焼き上がっているのにまだ焼けていないかのようで、それはまるで人間の柔肌のごとく感じます。
高台削りにしても視覚的触覚的に箆に対して何の抵抗感もなかったのではないかと思わせます。
陶土というのは柔らかで可塑性が高いものであり柔軟なイメージが強いですが、
箆なり指なりを入れ込んでみるとまったく印象が変わってきます。
箆や指先からは目では見えなかった細かい石粒の感触が伝わってきますし、
力を入れれば入れるほど押し返すと言うか中々に自由に扱わせてもらえません。
その経験を持って今回の金重陶陽先生の緋襷酒呑の高台周辺を見ておりますと、
まるで箆の方が土に吸い込まれたかのような削り口になっており驚かされました。
熟練の板前が大根の桂剥きをする際に、まるで最初から皮と実の間に切れ込みでもあったかのように、
シュルリシュルリと土が勝手に脱いでいくような、軽やかで実に自然体な高台になっています。
推測ですが、茶碗などに使用されている最上級の観音土を使用されているのではないでしょうか。
以前、あるお客様とお話をさせて頂いた時に「緋襷の功罪」というのが話題に上がりました。
電気窯による緋襷焼成の完成後、広く流布したのが「電気窯による焼成」部分のみであり、
その本質が「電気窯による”桃山に迫る”緋襷焼成」であるということは置き去りにされたままでした。
以来結果的に粗製乱造によってコストを抑えた焼成方法というイメージが定着してしまい、
緋襷自体のイメージが大きく損なわれているのが現状であると感じております。
コスト的なお話をさせて頂きますと、金重素山先生考案の焼成方法では、
特注のダクト付きの電気窯を使用致しますので、小さな薪を焚べながら焼成しております。
更に登り窯同様の期間の焼成をしますので電気代だけで見ても本来の登り窯よりもコストが嵩むそうです。
勿論、コストを掛けたからと言って良いものが出来るとは限りません。
ですが緋襷の本質が廉価な焼成方法ではないということが少しでも広まって欲しいと思いました。
今回の緋襷酒呑は電気窯の緋襷があまりお好きではない方にこそ見て頂きたい酒呑です。
備前焼まつり期間中は店頭に展示しておりますので、是非ご覧下さいませ。